【公務員からの教え 2-11】 気が気でない局内研修期間

辞令交付式の翌日から早速今度は局内研修が開始された。
わたし自身が期待していた辞令内容とあまりに違っていたこともあり、ひどく落胆したまま研修を受け始めたわたしがいた。
口から出てくるのは、
「なんでこうなったんだ・・・」
「まったく興味のない局すぎる・・・」

「いったい自分のどこが悪かったのだろうか」
などマイナスの言葉ばかり。
いま振り返ると、20歳代のわたしの人生の中ではこの辞令発表から2週間くらいが最も負のオーラーを発生続けていた時だったと思う。
大げさに言えば、「人生に絶望した」とでも言うべきものだろうか(笑)
研修場所は大阪の淀屋橋にある大阪市役所の本庁舎の会議室で行われた。
本庁舎は中央公会堂や日銀など古い歴史建造物が集まる中之島エリアにあり、外観はそれはそれは立派で、初めて見た人の誰もが「いい庁舎ですね~」と声をあげるレベル。
$辞める? 辞めない? 脱公務員しちゃいますか!?
当然新人職員の多くは「この庁舎で働きたい!」と憧れ、まさに大阪市役所のシンボル的な存在だ。
だが実際には、大阪市職員4万人のうちこの庁舎で働いているのは3000人ほどにすぎない。
部局によっては第二本庁舎と言われるWTCビル(当時)に丸ごと入居している部局もあれば、区役所のようにほぼ全く本庁舎と繋がりのない部局も存在する。
この局内研修の開始時点では、この本庁舎で働ける可能性は大いにあった。
なにせ配属された健康福祉局は本庁舎の2階全フロアーを占める役所の中でも大御所な部局だから。
「おれもここで働けるんかな~まあそれならいいか」
と若干気持ちを持ち直せることもできた。
だが実際に研修が始まると、局内の配属先はここ以外にも多数あることが分かってきた。
というより、新人のわたしには、この局の業務内容は「福祉」や「介護」のことだけかと思っていたら実は「保健」というものがあったのだ。
※「ほけん」の漢字は生命保険などの「保険」ではなく健康増進を扱うほうの「保健」。
元々この健康福祉局という局は、福祉部門(民生部門)を扱っている民生局と保健部門を扱う環境保健局同士が何年か前に行政改革の一環で合併して誕生したらしい。
そのため局として1つなのだが、中の組織実態としては完全に2つに分かれていて、組織運用や人事形態、組織風土などあらゆることが別物。
言い換えれば企業合併し新たに誕生した会社、でも企業風土は全く別物というイメージ。
そして新人研修の最中に知った俗に仕事が超ハードで日々終電帰り、と言われるのは民生部門のほうで、保健部門は民生局と違い比較的まったりしているらしい。
こうなってくると、この局に配属された同期生、約15名のほとんどが民生部門ではなく保健部門に配属されないかな~って思っていた。
※ほぼ全てというのは、中には福祉や介護の仕事がしたい、と元々この局を志望している同期生もいたからだ。
好きな仕事ができるなら残業が多くても耐えられるだろう。
わたしを含めこの局に不本意ながら配属された(されてしまった)新人たちにとっては、どちらの局にしてもまるで興味のない分野+片方は超ハード残業が待っているとなれば、必然的に保健部門を志望してしまうのは仕方ないことだろう。
局内研修では、局内の各部署の役割、仕事に関わる法的知識など新人研修よりは内容の濃い研修が3日ほど続けられた。
失意にくれていたわたしにとっては、あまり頭に入らず、いま振り返ってもほぼ全くといっていいほど内容を記憶していない。
3週間続けられた全体新人研修の内容は多少なりとも記憶しているのに。
そして研修最終日にまたしてもというか、本当の意味での運命の配属先発表。
この発表がこれから先、数年間の仕事人生を大きく決定させる。
ただ前回の部局発表の辞令交付と違い、発表当日ともなるともうなぜか緊張はなかった。
すでに本意と異なる局に配属されたことでふっきれてしまっていた自分がいたのかもしれない。
「もうどこにでも配属してくれ、まあでもできれば民生部門以外で・・・」
と。
続く。
【まとめリンク 第2章 入庁】
1 入庁1週間前
2 入庁式1 決意新たに
3 入庁式2 労働組合の勧誘
4 意味のない新人研修の始まり
5 日々飲み会に精進
6 新人研修とは何だったのか
7 希望配属先面談
8 配属辞令の交付
9 運命の分かれ道
10 局内研修の開始
11 局内研修
12 福祉か保健か

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